少林寺ブームの中で・・・

映画「少林寺」の大ヒットを受けて、リンチェイはトップアイドルの仲間入りを果たしました。そして「少林寺2」の撮影へと臨むことになります。「少林寺」が撮影された時には荒れ果てた「嵩山少林寺」でしたが、映画の大ヒットで荒れた荒野だったその場所は、観光名所に変わっていて少林寺グッズで溢れかえっていました。

「少林寺2」の撮影は、今までと同じスタッフにキャストで進められていましたが、リンチェイが所属する北京武術団のメンバーもたくさん「少林寺2」に参加していました。その中で、妻となる黄秋燕(ホァン・チューイェン)とは劇中で恋仲を演じました。黄秋燕(ホァン・チューイェン)は、北京業余体育学校の頃からの仲間でもあり、蛇拳ではチャンピオンの腕前です。2歳年上の1961年生まれです。リンチェイが少年の頃からたくさんの時間を一緒に過ごした兄弟のような仲でありました。

一作目「少林寺」の大ヒットで、撮影場所でもファンに囲まれることが多いリンチェイでしたが、決しておごることはなく自分を見失うことはありませんでした。撮影の合間には武術理論、映画芸術歴、包括政治理論といった書物で学び、自分自身も新しい技を考え開発している中で、右膝の故障といった困難もある中で「少林寺2」の撮影は進んでいきました。この作品での謝礼金と名前の出演料は、1日2元(約240円)という低い金額でした。とても低い出演料でがっくりしたようですが、スタッフも他のキャストも同じ謝礼金額で一般的な中国でのサラリーマンと同じような金額の出演料でした。次の出演作品の謝礼金も3元という話を聞かされてかなりショックを受けたようです。この頃の中国では、平均月収が60元で、多いとされている大学教授でも88元という月収でした。1日2元の出演料金で1ヶ月働き、ようやく平均月収並みの謝礼金というのはやはり腑に落ちない金額でしょう。

「少林寺2」が1984年に公開されて一作目ほどの興行成績には及びませんでしたが、それでも製作費250万元でありながら興行成績は中国1位の8.600万元をあげ、香港では3位の2.200万香港ドルという興行成績を上げました。この興行成績をみると、1日2元の出演料に納得できないリンチェイの気持ちがよく分かります。

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ブーム終焉とともに

「少林寺2」が公開されてから、またしても立て続けに3本目「少林寺」シリーズの撮影に入ります。1作目の撮影に臨んだころはまだ少年ともいえる年頃でしたが3作目の撮影期間は1984年には21歳になっているのでもう大人の仲間入りをしていました。少林寺シリーズの3作目は大作扱いになっていて、大物監督を起用した作品になっていたこともあって予算も今までとは桁違いの予算が割り振られて、スタッフと出演者を合わせると総勢1万人近い大所帯での3作目の撮影となりました。

3作目の監督はラウ・カーリョン(劉家良)で、監督も武術の達人ということもあって初期のアクションカンフーの俳優としても活躍していた監督です。スタッフやキャストは今までの作品と同じく馴染みの顔たちでしたがラウ・カーリョン監督が起用されたことで中国でのスタッフのほかにも香港からたくさんのスタッフが撮影現場に送り込まれるようになりました。今までと監督も違うので、当然ながら撮影スタイルもまったく違い違和感を抱きながらの現場でした。

1作目の出演料が1元でしたが、3作目での出演料はアップしたとはいっても1日3元。香港からきたスタッフは死体役程度のレベルでも1日50元。この主役クラスの1ヶ月分ほどの出演料を、香港からのスタッフはわずか1日で報酬を得ることにこの世の中の不条理と理不尽差を嫌というほど感じ、我慢を重ねながらもイライラは募るばかりでした。

ギャラという報酬だけでも腹立たしいうえに、撮影現場でも中国大陸の出演者やスタッフが食べるものは質素なお弁当。でも香港からのスタッフは、料理屋さんにデリバリーを頼み豪華な広東料理を食している姿を同じ現場で味わうと、忍耐と我慢も限界を超えてしまったようです。貧しい育ちの中でも不平不満を並べることなく、ひたすら自分の武術の技を精進するために励んでいたリンチェイ少年でしたが、自分の置かれているこの状況と環境に不平等を感じて怒りを覚えていくようになりました。

1日3元というとても低い出演料での主役ですが、要求されるものはとてもハードなもので撮影現場も過酷でした。ロケの最高温度は49度の時もあれば最低気温がマイナス18度の時もあり、肉体的にもかなり過酷で精神面でも不平等な現場に怒りを覚えながらの撮影で、この撮影中に腰の骨を折るという大怪我もしました。

再起不能とも思われたこの大怪我で撮影は2ヶ月ストップしましたが、なんとか撮影は続けられ1年半以上にも及んだ厳しい撮影は1985年の秋に終わりました。最初の予定よりも撮影期間はオーバーして、予算も大幅にオーバーしたこの作品の製作費は1.000万元ともいわれ日本円にすると約6億円から7億円の製作費となりました。

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現在、ジェット・リーはこの作品のことについてあまり語ることもなく、この作品を撮影したラウ・カーリョン監督とこれから先に一度も一緒に仕事をしていないところを考慮すると、撮影期間を通して2人の関係は決して良好ではなかったと思えます。

映画が公開される頃には、あれだけ製作費をかけたにもかかわらず、製作が遅れたことで「少林寺2」が公開されてから2年後の公開となり、香港では少林寺ブームも終焉を迎えて他の新しい流れの映画へと風向きもかわっていて、中国でも製作費を十分に回収できるだけでの興行成績8.000万元(約34億円)と健闘はしましたが、1作目2作目で首位となった興行成績ではなく2位という結果になり、少林寺ブームの終焉とともにリンチェイも以前のような輝きを放つことはなくなったようです。

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